14年と12年の区切り。
末っ子タロウの卒園式がありました。
三役に当たっていたので、最終日までなんやらかんやら動いていましたが、お手てをつないで5人のわが子送迎の日々14年間の歴史が、幕を閉じた日なのでした。
長女の幼稚園の送迎が始まった時は、20代で、三女妊娠中の妊婦でした。
播州の地で園ママデビュー。先生のおっしゃる言葉の意味がわからなかったり、わが子が播州弁をマスターしていって、ドキドキしたものです。
五人五様、母と離れて社会生活を行うことに、ドラマがありました。
長女四歳年中さん、夏に三女の出産があって、社宅のお友達にお世話になりながら通った幼稚園。3月生まれで周りと比べてひときわ小さかった長女、秋になっても、たった一人泣いていました。年長さんになって誰よりもしっかりしたと言われたものです。
次女四歳年中さん、気丈に通っていたのだけど、参観の日にお母さんに会ったら、うるると目が潤んだと思ったら、後ろを向いてごしごしっと目をこすって先生のもとに行った、あの後ろ姿は忘れられません。ガラスの心で、園ライフがんばったんやと思います。
三女は強い希望で三歳年少さんで保育所に行きました。保育所が大好きで、3年間楽しみまくりました。一度だけ、代わりの先生がきて誤解を受けた時だけ「いややった」と言ったけど、あとは「みんないいひとばっかちやで」と言って通ってたなあ。
四女は三歳年少さんでデビュー。保育所では神童だったようで、人気者&マーチングで花形の役に抜擢されてました。四女の送迎は、義父母がお隣に引っ越してこられて、仕事が忙しくなったのもあり、沢山助けていただきました。
末っ子タロウ3月生まれで三歳年少さんデビュー。最初の1か月は制服も着ないし大泣きするし、一番離れない子でした。一度大丈夫になったけど、冬になってまたぶりかえし、年少の間はママと離れるのがつらかったようです。年中からはうそだったように保育所を楽しむようになりました。
私自身、徒歩3分の幼稚園に通ったので、親に園送迎してもらった記憶がないんです。
最初はこの生活の中で時間を割かれる送迎をどう捉えていいかわからず、大変やなあと思っていました。でも、いつぞやから、お手てをつないで、歩いていく時間がどれだけたからものか、意識できるようになってきていたと思います。
小さなかわいいお手てたちを握って、季節の移り変わりを楽しんだ時間。
春になったらスミレが咲いたり、秋はカメムシの被害にあったり。
青い空を見上げたり、照り付ける太陽にバッチリ日よけ対策したり。
寒い日も、暑い日も。
14年間、園ママやりきりました💪✨
そして、同じ日の夜は。
わが教室第一期生たちの、教室卒業式でした。
教室開講の12年前から通ってくれた生徒もいる、1人1人思い入れが大きすぎる6人。
彼らとの最後の日。この日が来るのが、2年前くらいからもう怖かった気がします。そしてその怖さを乗り越える為に、私はとにかくできるベストを尽くして送り出そう、と決めていた気がします。
ちびっこ時代から、思春期、高校受験、大学受験、何回も重ねた発表会、奇跡のミュージカル。12年間毎週顔を合わすのが当然になっていた家族同然のメンバー。
最後の言葉では、生徒たちも、お母さんたちも、涙、涙、涙で…
卒業式関連で泣かない私ですが、さすがに前日くらいから、ちょっと、しんどかったな…
12年前。何もなかった、不安でいっぱいだった、若葉せんせいだった私。
その私にいつも、せんせいとしての喜びや、新しい壁を持ってきて、成長させてくれた一期生達。生徒の一人も言ってくれたけど、その絆は、言葉にできない。本当に、本当に、出逢いに感謝。
そしてこれから踏み出す一歩、羽ばたいていく姿を、これからもきっと、ずっとずっと応援させてください。
修了記念は、みんなおそろいのこれにしたよ。
ミドルネームは、この教室で呼ばれていたニックネームの頭文字。
It's only the Beginning of Our New Story!!
これはほんの、私たちの新しい歴史のはじまり。
14年間の園ママライフと、
一期生との12年のふたつの大きな区切りの日に。